美術館について
ごあいさつ
妖精の森ガラス美術館は平成18年(2006年)に鏡野町が建設した世界的にも珍しい「ウランガラス」をテーマにした美術館です。ウランは19世紀から20世紀にかけて、欧米や日本でガラスの着色剤として使われていました。紫外線が当たるとガラスがきれいな緑色の蛍光を放つことから、当館では地元、人形峠のウランを用いたガラスに「妖精の森ガラス」という名前をつけました。小さな美術館ですが、展示室で世界のウランガラスや現代のガラス作品の鑑賞、併設のガラス工房ではガラス体験、アートショップでガラス作品の購入といった、様々な楽しみ方ができます。ガラスの持つ神秘的な輝きをお楽しみください。
設立の経緯
昭和30年(1955年)、鏡野町上齋原地域(旧上齋原村)の人形峠でウラン鉱床の露頭が発見されました。採掘終了後の平成10年、ウランを使ったオンリーワンの地域産品開発の基軸として、人形峠産のウランを着色剤として使用したオリジナルウランガラスの開発計画が立ち上がりました。そこから地場産業の育成と観光開発、地域文化の育成拠点としてガラス工房を併設した美術館の実施設計を作成し、平成18年(2006年)4月に「妖精の森ガラス美術館」がオープンしました。
『ウラン鉱床露頭発見の地』碑
岡山県鏡野町上齋原地域(赤和瀬地区)
美術館について
岡山県北部・鏡野町上齋原地域に建設された世界的にも珍しいウランガラス専門の美術館です。1階常設展示室では、19世紀のボヘミアガラスの名品から現代に至る世界のウランガラスを常時鑑賞できます。また、2階企画展示室ではガラスに関する展覧会を年3~4回のペースで開催しています。アートショップでは、当美術館ガラス工房で作られた鏡野町オリジナルウランガラス「妖精の森ガラス作品」をはじめ、様々なガラス作品を展示販売しています。ガラス工房では、「吹きガラス体験」「リューター体験」「サンドブラスト体験」の3種類のガラス体験を開催しています。
コレクション
妖精の森ガラス美術館に収蔵、展示されている作品は19世紀から20世紀にかけての海外製及び日本製のウランガラス製品と、現代のガラス作家が制作した作品の2種類の柱で構成されています。古いウランガラス製品のほとんどは当美術館名誉館長を務められた故・苫米地 顕(とまべち けん)博士が生前に個人収集されていたものです。また、展示作品の中でも人気の「ロシア皇帝のゴブレット」はウランガラスコレクターの吉岡 律夫(よしおか りつお)氏が所有されていたもので、両氏共に作品を鏡野町に寄贈していただき、現在の展示が実現しています。現代のガラス作家が制作した作品は1階と2階の各所に展示してありますので、19世紀から現代まで、幅広い様々なウランガラス作品を楽しんでいただけます。
ウランガラス製品は女性の化粧用品やアクセサリーなどに広く使われていました。それらを置いて、女性の化粧室を再現しています。
19世紀後半にフランスで生産されたテーブルセットです。
「バーミーズグラス」と呼ばれているもので、薄い黄色から淡いピンク色に色調が変化しているのが特徴です。
1930年頃にアメリカで生産されたアイスクリームカップです。
ヨーロッパ上流社会の貴族がコーヒーを飲むときなどに使われていたものです。銀のふた部分にはオーストリア政府が銀の純度を認定したマークが打たれています。そのマークに製造年[1840年]を記す記号も打たれていることから、製造年の明確なウランガラスとしては世界最古のものであることが分かっています。
ウランガラスの様々な可能性を探る実験的な試みとして、宝石職人に加工を依頼し、完成したジュエリー(ティアラ)です。
ウランガラスについて
ウランガラスはガラス原料に着色剤としてごく微量のウランを混ぜたものです。ウランガラスの色は黄緑色で、ブラックライト等の強い紫外線を当てると人間の目に最も敏感で綺麗に映る緑色に蛍光(発光)します。これは、ウラン原子が紫外線のエネルギーを吸収して元に戻るときに、人間の目に緑色に見える光を出すためです。紫外線を含む太陽光が当たると、緑が濃くなるといった色の変化が楽しめます。
ウランガラスの小史
1830年代にボヘミア(現在のチェコ)で生産が始まり、色味の美しさが話題を呼んで19世紀の間にイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどヨーロッパ各地に広まりました。19世紀半ばにはアメリカに伝わり、第二次世界大戦でその製造が途絶えるまで、世界中で人々に最も人気のあった色ガラスとして、食器や酒器、花器、アクセサリーなど、沢山作られました。 日本でも明治の初期に近代的なガラス製法とともに着色剤としてウランが注目され、大正から昭和の始めにかけて、食器、酒器、時計、照明具などが盛んに作られました。
その後、第二次世界大戦時に各国はウランを軍事利用しようとして使用規制をかけたため、ガラス工場では使えなくなりました。戦後ほとんど作られなかったのですが、近年、チェコやアメリカで復活の兆しを見せています。現在、日本の純国産ウランを使用したウランガラスで工芸作品を制作しているのは世界でも当美術館だけになります。
ウランガラスの安全性
ウランと聞くと「怖いもの」という印象がありますが、ウランガラスに含まれているウランの量はごく微量なので、放射線の心配はありません。現在、妖精の森ガラス美術館で使用しているウランガラスは、含有率が0.1%(重量比)と大変低いので、ワイングラス1個から出ている放射線の量は、人間の体内でカリウムが出している放射線量にほぼ等しく、日常、飲食に用いても問題ありません。
妖精の森ガラスとは
「妖精の森ガラス」は鏡野町の地域資源であるウランを着色剤として使った、鏡野町オリジナルウランガラスの名称です。ウランガラスが放つ神秘的な光が夜空を光り輝きながら舞う妖精を思わせることから、このガラスを「妖精の森ガラス」と名づけました。 このガラスを使って一つひとつ手づくりで作品を制作することにより、工芸的な付加価値を高めています。